姉ちゃん

Reading (21)決して兄弟のことではありません。今回はアネちゃんと呼ばれている人のことを書こうと思います。彼は僕がレディングに移り住んでから初めて出来た日本人の友達。広くアジア人とはいえ、さすがにインド人とパキスタン人を見極めるのはかなり難しいものですが、面白いもので自分の生まれ育った東アジアの出身者なら、一目見るだけで互いに相手が日本人なのか韓国人なのか、はたまた中国人なのかは見当がつくものです。逆に恐らく当事者になればインド人とパキスタン人同士だってきっとそうなのでしょう。

ご多分に漏れず、最初見かけた時から僕は彼が日本人だとすぐに分かりました。彼の方も恐らくそうだろうと思います。しかしそれから暫くの間、恐らく一ヶ月程は、互いに意識しながらも、出来るだけ顔を合わさないようにと、どこか避け合っていました。これにはいくつか理由があって、一つは前回も書いたように、「英語の勉強に来ているのだから、日本人となんか話していてはいけない」と、二人とも必要以上にストイックになっていたこと。そして、例え日本人同士だと認識し合っていても、先の理由も相まって、「紹介もされていないのに話しにくい」という雰囲気が二人の間にあったんだと思います。日本人特有の距離感。中国人なら例え知り合ってまもない間柄でも、すぐにコミュニティを形成し、いつのまにか大きなグループにしてしまいます。決して躊躇わない。その理由については私見を後述する予定ですが、なにせ日本人同士というのは何かと繊細で煩わしい。誰であったかは失念しましたが、結局は誰かに紹介されて二人は話すようになるわけで、彼との出会いはまさにそんな日本人的なものでした。

彼はロック好きの僕より一歳年下で、なんと同郷でした。同じ寮に住んでいたこともあって、僕たちはすぐに意気投合し、互いの部屋を行き来したり、夜遅くまでお薦めのロックを聞きながらフォスターズを呷ったり。このお薦めのロックというのが重要で、彼との出会いによって今までUS中心で廻っていた僕の中の音楽地図に、UKという新たな軸が立つことになりました。もちろん、それまでUK発の音楽を全く聞かなかったわけではないですが、それは所詮あくまでブラックミュージックを広義に捉えたものでしかなかったのでしょう。スタイル・カウンシルを前以上に理解出来た気がしたし、ビートルズにはロックの全てが詰まっている気がして、ニュー・ウェーブ時代はポスト・パンクやネオ・アコに熱中しました。僕にとってロックの先生である彼との関係は、僕がロンドンに移ってからも続き、この文章を書いている今も絶えていません。

(写真:たまに訪れたレディングのパブ)

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