フリースタイル

Reading (38)レディングでの生活も二カ月が過ぎ、多少ではあるが英語で暮らしていくことに慣れ出した時期の話。何故か一週間か二週間に一度のペースで、全く英語が話せなくなるという症状が出るのです。変な表現ですが、そんな日は脳がパンパンに腫れあがっているような感覚になっていました。

留学経験者は等しくそうだと思うのですが、「少なくとも英語だけは話せるようになって帰らなければならない」という、ある種の強迫観念にも似た意識を持って生活していた僕は、自分の周りから徹底的に日本語を排除していたので、あれはそんな環境への脳の拒否反応だったのかも知れません。今まですらすら話せていた事が急に表現できなくなる。イライラしたり、焦ったりと、そもそも気分屋の僕はそんな時より一層不機嫌だっただろうと猛省。

ある日のこと。その日も例のごとく英語不調の日であまり人と一緒にいたくなく、授業が終わって一人映画館に向かっていたのですが、この脳の一時停止の現象は何故起きるのか、理由を考えながら歩いていると、突然この「疲労脳」とでも呼ぶべき感覚は何かに似ていると気づいたのです。そうだ、フリースタイルだ。

大学時代、懸命にレコードを買って、好きなブレイクでループを組み、歌詞を書く。そして小さいながらクラブでマイクを握るというヒップホップ一色の生活を送っていました。そして僕が現役の頃は、「ラッパーならフリースタイルくらい出来なければ」といった風潮がまだ強く残っていて、UMBや3on3といったフリースタイルの大会が続々登場してきた時期。僕も一念発起し、当時使っていたMTRにドラムループだけを注ぎ込み、フリースタイルの練習に明け暮れたのですが、そもそも「したいこと」ではなく、「すべきこと」として始めた感が強かったこともあって、精神的な充足感はさほどなく、かわりに練習後当分の間脳が何とも言えない疲労感で、完全に思考停止してしまうのが辛かった。

話を戻すと、僕がレディングの町で感じていたものは、まさにこの疲労感と全く同じものだったのです。つまり、英語だけで生活するということは、二四時間四六時中フリースタイルをしながら生活しているのと変わらないのだと、脳が拒否反応を起こすことにも頷ける気がしたのでした。それと同時に、フリースタイルは即興で歌詞を書いているなんて次元の話ではなく、もはや新たな別の言語に近いものなのだと納得。

(写真:レディングにあるチャリティーショップ)

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